みえないこと
ひとつの幸せのドアが閉じるとき、 もうひとつのドアが開く。
しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない。
ヘレンケラーの言葉です
大好きで昔からよく読んでいた本なのに、つい昨日まで思い出すことがなかったのは、
目が見えない(見えにくい)ということから離れた生活が送れているからかもしれません
見えるようになりたい・・・どれだけ願ったでしょう
今もコンタクトを外してしまえば、何重にもぼやけてみえ、
遠くのものはほっとんど一体化しているのは変わらず・・・
ただ、どんな夜景でも、めちゃめちゃキレイですよ
そして、矯正しているのは車が運転できる最低限の0.7程度まで
それ以上は見えすぎて、しんどくなっちゃうのです
見えていることがすべてと思いがち・・・
でも見えないものの方がずっとずっと大事なことって多いんですよね
つい最近、手に取ったある雑誌のカメラマンが小雪さんを撮影していたときに言ったのは、
『小雪さんは本当に綺麗・・・外見はもちろんそうかもしれないけれど、
芯の部分というか中身の美しさだから、どこにいても何をしていても綺麗なんだよね・・・』
芯の美しさ=真の美しさということでしょうか
どこかが閉じれば、どこかが開く
みていたい先は閉じた扉でしょうか
それとも、開いていく可能性の扉でしょうか
velude(ヴィロード) すぎ
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