母校の思い出
今年も天気の良い清々しい正月となりましたね
僕は例年通り岐阜の実家に帰っていました
今年は珍しくほとんど出かけず家で家族団欒を楽しんだ訳です
1月3日。
夕日の沈む前に、ふと、自分の母校、小学校に立ち寄ってみたくなり足を踏み入れてみた。
中学や高校には行ってみたいとは思わないのだが・・・ なぜか小学校だけは行きたくなる。
ここに来ると心が落ち着く。誰もいない校庭はいいもんだ。
校庭に入り、まずはグランドに。
今になってもグランドはとても広く感じる。
ここで4年間野球をやってたな。
グランドに立つと必ずピッチャーマウンドへ行きたくなる。
キャッチャーまでの距離。 意外と遠いな。 こんな距離を投げてたんだな~。
マウンドに立つと、当時の情景がリアルに蘇る。
僕はコントロールが悪かった。
そんな僕にひ・く・め!ひ・く・め!とグランドに響き渡るような声で叫ぶ父親の姿がリアルに思い出される。あなたは監督ですか?と当時の父親に突っ込みたくなるほどドスの効いた声がグランドに響き渡っていた。
さらにそんな父親がアンパイア(キャッチャーの後ろにいる審判)をやる時はもう最悪だった。(笑)
練習が終わるとみんな横一列に整列。グランドに向かい校歌を歌う。
今でも小学校の校歌は忘れることはない。
校舎の中。 教室の中には20卓くらいの机。 だんだん少なくなってきてんだな。
僕の小学校は廊下が日本一広いと言われていた。 正確に言うとワークスペースと言って本を読んだり何か作業をする所があり、一年生から六年生まで廊下の向こう側はこのスペースで広々としていた。
それとなんと言っても自慢なのは全校生徒、職員を収容できるほどの広さの食堂があった。ホント体育館ほどの広さだった。
ファミリー給食って言って一年生から六年生まで何班かに分かれてファミリーを作るんです。食堂に行く数分前に各教室に集まり、6年生が紙芝居を読んでいたのを思い出します。
給食の時間。 学校の楽しみの一つです。
気がつくと日も沈みかけあたりもだんだん暗くなってくる。
帰ろうと車に向かうのだが何度も立ち止り学校を振り返ってしまう。
何かここに思い残すことでもあるのだろうか・・・
少しだけなんとも言えない名残惜しい気持ちを引きずりながら校庭を後にしました。
心と心が通い合い、純粋に笑い、温かい環境があったあの頃。
そして時が流れ、様々な人と出会い、いろんな経験、環境によって自分自身も変化し成長させて頂きました。
過去に囚われず、しかし人の原点を決して忘れることなく。
新たな時代を、そして温かい社会を
創造していきたいですね。
21世紀健康館 竹中